鉢植えされて喜ぶ植物はあるのか

 何時頃から人間は植物を鉢に植えることを考えたのだろうか。
 植物は移動できないから植物である。
 動物は動くことが出来るから動物である。
 この原点から考えれば、鉢に植えるということは、
 人間本位の考えから・・・移動できるという利便性も想定されたに違いない。

 ラン栽培では、鉢植えが当然のように考えれている。
 環境の異なる自生地の植物を栽培する場合、
 大きいエリアの栽培場をベストな条件にすることは、事実上困難である。
 狭い限られた空間の鉢に植えれば、どうにか似たよな条件を作れる。
 そういうことで考えれれた鉢も、人間の美的感覚が入って、
 東洋ランでは、鉢の美学まで込められている。
 三位一体の美学まで昇華され完成された園芸にまでなっている。
 しかし、植物を鉢に植えると、地植え栽培とは違った技術、知識、経験が必要である。
 限られたエリアに押し込めるのだから、限界がでてくる。
 自然に発生する枯れ落ち葉がない状態。
 地下水がない状態。
 微生物バランスが崩れている状態。
 植物から見れば、イジメ、拷問のようなものである。
 
 ランは菌根植物。
 自生地の根圏の条件を、鉢に構築するのは容易でない。
 しかし、最低条件として、根腐れの原因を回避するものが、コンポストと共に、
 両方の面から考察して作られてきた。
 しかし、ランは特に可愛そう。
 全然養分のない水ゴケ、バーク、軽石・・・。
 カラカラ乾燥。
 それでも健気に・・・・華を咲かせる。
 だから、それが正しい栽培法であると勘違いしてしまう。

 株よりも小さい鉢に植える。
 これがラン栽培の常識化している。
 しかし、この常識がSUGOI-neの開発で一挙に覆ることになった。
 自生地には鉢などない。
 鉢になど植えられていない。

 鉢に植えるというのは、人間の身勝手な行為だから、
 鉢に植えた植物の結果は、全て管理者の責任である。
 特に水条件は、大地と隔絶しているから、全て潅水は自己責任になる。

 限られたコンポストの量。
 これが制限因子となり、生育が阻害される。
 この阻害を利用する盆栽。
 逆の発想の栽培技術。
 だが、この発想でランを栽培すると、ランは大失敗する。
 作落ち後、株を回復させられなくなる。

 水ゴケ、バーク、軽石に・・・養分が含まれていないからである。
 

 SUGOI-ne栽培では、枯れ落ち葉下の湿度を維持継続させれば、
 どんなランも素晴らしい生育になる。

 鉢に植えるというのは拷問だから、ランが好きな用土で植える。
 自生地の炭素循環がある用土で植える。
 そういう栽培が、これからのラン栽培であろう。


 
 
 






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